これも上京して間もない頃の話です。
専門学校の講師を始めて間もなく、とある制作会社の方から学校に「Saxの先生いない?」という問い合わせがあったそうです。
学校にSaxのコースは無かったのですが、電話を受けた事務の方が「そういや、森山くんSax持ってたな」というのを思い出して「ああ、いますよ」と答えたそうです。
そしたら速攻で「お仕事お願いします」と決まったそうでして…(^_^;)
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これも上京して間もない頃の話です。
専門学校の講師を始めて間もなく、とある制作会社の方から学校に「Saxの先生いない?」という問い合わせがあったそうです。
学校にSaxのコースは無かったのですが、電話を受けた事務の方が「そういや、森山くんSax持ってたな」というのを思い出して「ああ、いますよ」と答えたそうです。
そしたら速攻で「お仕事お願いします」と決まったそうでして…(^_^;)
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PCMデータ処理(波形編集)の仕事を始めたわけですが、最初はSY77用の別売WaveCardの制作から入りました。
メモリーサイズも512KiBと小規模なもので、波形数も大して入らないので駆け出しにはピッタリの仕事だったんですね。
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ちょっと時代は遡ります。
インストラクター末期の頃、昭和63年(1988)にミュージックコンピューターC1なるものが発売されました。
生産完了品 C1(ヤマハ公式サイトから)
QXではなく、CXの進化形ということですね。
続きを読む YAMAHA C1
ヤマハと契約したのですが、専門学校の講義も当時週2日あったので週3日のペースで渋谷に通うことになりました。
時々従業員だと思っている方がいらっしゃるようですが、契約上はずっと「しがない出入りの一業者」ですw
続きを読む イギリス人がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!
そして上京して一年後の平成2年(1990)
とりあえず専門学校の非常勤講師として週4コマほどの枠を担当することにはなったものの、さてそれからどうすんべと、学生さんたちと日向ぼっこをしているところに通りかかったのが大浜和史さん。
続きを読む YAMAHA R&D東京と契約(出戻り)
上京する前年、つまり昭和63年(1988)に「任意団体 日本シンセサイザープログラマー協会」として発足していた事は知っていましたが、ふとしたことがきっかけで上京した翌平成元年に入会しました。
当時は規約もまだ十分に整備されておらず、「ああ、森山くん?入会してもらってもいいんじゃない?」というノリだっと記憶しています^^;
続きを読む JSPA
というわけで平成元年(1989)4月からフルタイム、当時はまだ完全週休2日制ではなかったので、月〜土(半日)の勤務です。
ただ…正直給料死ぬほど安い(紹介した人から聞いた半分…)、仕事キツイ、残業多くて自分の時間全くない、社会保険(健康保険/年金)無しという、今だったら速攻アウトの事案ですヽ(`Д´)ノ
続きを読む 1年間の勤め人
結局インストラクターとして約4年仕事をすることになりますが、そこは地方の悲しさ。
他に大した仕事もある訳でも無しで収入もさっぱりです。
続きを読む おら東京さ行くだ
インストラクターになってからDX7 CX5だけでは当然力不足になってきます。
ということでRX11(リズムマシン)こそ購入しましたが、他の機材はメーカーから借りることができたので当初はそんなに困ることはありませんでした…が、店頭デモ演が増えてくると、さすがにCXの打ち込みだけではなんともならなくなってきます。
続きを読む YAMAHA QX1
結局楽器メーカー営業のインストラクターを4年ほどやりました。
現在は会社組織も大きく変わりましたが、当時は国内に支店がいくつもあり、支店の規模にもよりますがそれぞれインストラクターを抱えていました。
年代的には当時20〜30歳くらいの人が殆どだったと思います。
電子楽器のデモンストレーションは商品の性格もあるのですが、昔は駆け出しの若いモンがやるイメージだったんです。
続きを読む インストラクターというお仕事3