夢で逢えたら

これも上京して間もない頃の話です。

専門学校の講師を始めて間もなく、とある制作会社の方から学校に「Saxの先生いない?」という問い合わせがあったそうです。
学校にSaxのコースは無かったのですが、電話を受けた事務の方が「そういや、森山くんSax持ってたな」というのを思い出して「ああ、いますよ」と答えたそうです。
そしたら速攻で「お仕事お願いします」と決まったそうでして…(^_^;)
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JSPA

上京する前年、つまり昭和63年(1988)に「任意団体 日本シンセサイザープログラマー協会」として発足していた事は知っていましたが、ふとしたことがきっかけで上京した翌平成元年に入会しました。
当時は規約もまだ十分に整備されておらず、「ああ、森山くん?入会してもらってもいいんじゃない?」というノリだっと記憶しています^^;
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1年間の勤め人

というわけで平成元年(1989)4月からフルタイム、当時はまだ完全週休2日制ではなかったので、月〜土(半日)の勤務です。
ただ…正直給料死ぬほど安い(紹介した人から聞いた半分…)、仕事キツイ、残業多くて自分の時間全くない、社会保険(健康保険/年金)無しという、今だったら速攻アウトの事案ですヽ(`Д´)ノ
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YAMAHA QX1

インストラクターになってからDX7 CX5だけでは当然力不足になってきます。
ということでRX11(リズムマシン)こそ購入しましたが、他の機材はメーカーから借りることができたので当初はそんなに困ることはありませんでした…が、店頭デモ演が増えてくると、さすがにCXの打ち込みだけではなんともならなくなってきます。
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インストラクターというお仕事3

結局楽器メーカー営業のインストラクターを4年ほどやりました。

現在は会社組織も大きく変わりましたが、当時は国内に支店がいくつもあり、支店の規模にもよりますがそれぞれインストラクターを抱えていました。
年代的には当時20〜30歳くらいの人が殆どだったと思います。
電子楽器のデモンストレーションは商品の性格もあるのですが、昔は駆け出しの若いモンがやるイメージだったんです。
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L'instrument électoronique